2012.12.26/12.27最新
目 次 付・正誤表
目 次 表紙絵『浪華の賑ひ』より「野田藤」 祝 辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・福島区長 坂本 幸三 『なにわ福島ものがたり』発刊によせて・大阪市立福島図書館 館長 米川くりえ 郷土・福島区研究にことよせて・・・・・・・・・・・・・・・・・ 長山 雅一 [遺稿]村から町へ「鷺洲」のうつりかわり・・・・・・・・・・・ 井形 正寿 なにわ八十島から福島区への歩み―総論に代えて・・・・・・・・・ 太田 勝義 一 近世まで/二 明治以降/三 産業と社会福祉/四 福島区ゆかりの三人 野田の藤・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤 三郎 プロローグ/一 野田藤のあけぼの/二 足利義詮住吉詣の謎/ 三 太閤秀吉の藤見物/四 「藤之宮」と呼ばれた春日神社/ 五 地方へもたらされた野田の藤/六 村人の誇り「藤野田村」/ 七 野田村の藤から世界の「Noda Fuji」へ/エピローグ/謝辞 野田城と戦国三好一族・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤 三郎 はじめに/一 戦国三好一族と野田城のはじまり/二 三好長慶と野田城/ 三 水に浮かぶ巨大な砦・野田城/ 四 「野田福島の合戦」(一)/ 五 「野田福島の合戦」(二)/ 六 その後の三好一族/あとがき/謝辞 「二十一人討死」の合戦と一向一揆・・・・・・・・・・・・・・・ 藤 三郎 はじめに/一 畿内戦乱の兆し/ 二 「二十一人討死の合戦」の伝承と證如上人自筆の感状/ 三 「二十一人討死の合戦」の真実/四 直参門徒に取り立てられた野田衆/ 五 破門された野田福島衆/六 戦国時代をたくましく生き抜いた野田衆/ 七 門徒の鑑とされた二十一人の野田衆/おわりに/謝辞 遊里「新堀」と俗語「ぴんしょ」・・・・・・・・・・・・・・・・ 岡倉 光男 一 「新堀新地」盛衰記/二 「ぴんしょ」語源釈義考 安治川支(枝)線のこと―・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岡倉 光男 八〇周年を迎えた大阪市中央卸売市場本場・・・・・・・・・・・・ 酒井 亮介 一 中央市場法の成立と開業まで/二 野田の地が選ばれた理由/ 三 関西圏の生鮮食料品基地/四 本場の果たしてきた役割/ 五 これからの展望/六 コンプライアンス問題 福澤諭吉と福島区―生誕碑と一万円札肖像―・・・・・・・・・・・ 太田 勝義 一 生誕の地・記念碑について/二 新一万円札A7号券が我が研究会に交付/ 三 結びにかえて 摂州西成郡 海老江村物語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 末廣 訂 一 海老江の地名と歴史の移り変わり/二 淀川の治水と疫病との戦い/ 三 地元産業・企業の変遷/四 海老江の伝統文化・祭りについて/ 五 尼崎道意新田開発と海老江村/六 水郷の村・海老江の原風景/ 七 先の大戦の記憶と爪痕/八 結びにかえて 松下幸之助創業の地、大開で除幕式典・・・・・・・・・・・・・・ 末廣 訂 一 記念碑建立のいきさつ/ 二 記念碑「松下幸之助創業の地」ができるまで/ 三 記念碑建立のエピソード 芦分紀行―近世の福島区域をめぐる・・・・・・・・・・・・・・・ 田野 登 一 解題/二 本文 1 梅田堤の小夜烏/2 芦火焚く舟長が家の福島/ 3 藤野田村伝承「天文二年八月九日」/4 摂北浦江邑了徳院境内の杜若塚/ 5 水郷海老江村尼淵の怪異/6 野田新家の船方問屋跡/ 7 絃歌の声音絶えせぬ新堀遊里/三 むすび [資料]福島区歴史研究会三十年年表・出版物 編集後記
誤 | 正 | |
72頁2行目 | (一五三〇) | (一五七〇) |
72頁3行目 | (一五三五) | (一五七五) |
109頁5行目 | 魚業 | 漁撈 |
110頁3行目 | (一五六九〜一六一五) | (一五九六〜一六一五) |
124頁16行目 | 輸入牛 | 輸入牛肉 |
140頁1行目 | 鷺洲第尋常小学校 | 鷺洲第六尋常小学校 |
195頁2行目 | 傍線部である。 | (削除) |
200頁13行目 | 著名 | 著明 |