2011.7.14

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福島区歴史研究会会員論文


海老江の歴史と概要

海老江の伝統文化・祭りについて

末廣 訂

『海東だより 18号』海老江東社会福祉協議会 2011.7 所収


 海老江八坂神社の夏祭りが近づいてきた。7月18日朝早く各町から氏子が           まくらだいこ だんじり  ね 神社に集まり、町中を枕太鼓や地車が練り歩き、夜の宮入りは独特の盛り上が りがある。  海老江には、ご存知のように枕太皷と地車3基がある。1つの村で4基の祭 台があるのは大変珍しい。祭りの盛んな岸和田、平野でも旧村とか町単位で地                               ちょう 車が1基しかないが、海老江には東西南北4町があり、それぞれの町が枕太皷、 地車を管理、運営している。  海老江の夏祭りがいつ頃から始まったのか、また、枕太皷や地車がいつ頃出 来たのか。意外と書いたものが少ない。             ごこくほうじょう  純農村であった海老江は五穀豊穣を祈って、元々秋祭りが中心であったと考        い つ        えきびょうよぼう きがん えられるが、何時ごろか、疫病予防を祈願する京都の八坂神社と同じ夏に大祭 の中心が移り今日になっている。                                じゅんこう  平成17年に西之町が現在の地車150年記念として、記念式典と巡行を行 い、記念誌を発行されている。  昔から西之町の地車が一番古いと言われてきたが、文献では安政2年(18         むねあげ 55)に現地車が棟上されたとあり、また、町内の諸費用を書き込んだ過去帳 も同年代から伝わっているとの事です。                               すみじ  北之町の枕太皷は平成13年、大太鼓の張替の時、太鼓の内部に墨字で明治 15年制と書かれた文字があり、約130年前に製作されたものである。太鼓 の製作者は三浦繁太郎、その後の調査で三浦氏子孫は大阪から京都に移り、今 でも太鼓屋をされている事がわかり、現在北之町は三浦太幸堂にお世話になっ ている。                おおむ  東西南北各町の世話人の組織は概ねよく似ており、祭礼は町総代を中心に元 老、中老、若中(5人組)等役割があり、また、各町に神社の運営全般を支え る宮総代がいる。                   しょうぶ  夏祭り以外に、2月の節分祭、6月の菖蒲祭り、10月の秋祭りそして12 月の鎮火祭がある。もう1つ、江戸時代から続く伝統行事で余り知られてない 神事がある。毎年12月15日、夜に行われている宮座(キョウ)神事である。      とうや 宮座神事は頭屋(当屋)行事ともいわれ、12月15日の夜に頭屋宅に座衆が                                 なおらい 集まり、古式による料理を行い、真夜中に神社へお供えをして、翌日の直会で 座衆がお供えものをいただき、次年度の頭屋を選ぶ行事である。昭和47年、                        い じ 大阪府の無形文化財に指定され、伝統行事として維持されてきたが、座衆が少 なくなり伝えることがむずかしい状態である。  なお、「海老江の歴史伝統文化」を紹介する展示が福島区役所の1階ロビー、 5階展示場で7月15日から年末まで開催される。興味のある方はご覧下さい。                          福島区歴史研究会 末廣 訂


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