しゃしん ち ず れきし
ふるさとを知る写真や地図を見ると、いにしえの歴史をうかがう
ふうけい びょうしゃ しいか
ことができます。福島区の風景などを描写した詩歌も、今は失われ
じょうけい まつおばしょう まつせせいせい く ひ
た情景を思い起こしてくれます。松尾芭蕉や松瀬青々の句碑などで
よく知られたものもありますが、ゆかりの詩歌をいくつか、現代の
ひょうげん
書で表現しました。
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展 示 風 景
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作品1
かきつばた たび
杜若 かたるも旅の ひとつかな
まつおばしょう
松尾芭蕉 1644(寛永21)〜 1694(元禄7)
はいせい
現在の三重県伊賀市出身の俳人、俳聖と呼ばれる。
うらえ きろく
芭蕉が浦江の地を訪れた記録はないが、弟子たちによって句碑
がいくつか福島区内に建てられた。
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作品2
むらさき ふじなみ
いにしえの ゆかりを今も 紫の 藤波かかる 野田の玉川
あしかがよしあきら
足利義詮 1330(元徳2)〜 1367(貞治6)
むろまちばくふ しょうぐんたかうじ
室町幕府初代将軍尊氏の跡を受け、第2代将軍となる。
すみよしもうで とちゅう
1364(貞治3)年4月、住吉詣の途中、野田の地に船をつけ、藤
よ
の花があまりにも美しかったので、この歌を詠み、これを春日
ほうのう
明神に奉納した。次の和歌も残している。
紫の 雲をとやいわむ 藤の花 野にも山にも はいそかかれる
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作品3
わかくさ つゆ
むらさきの ゆかりならぬと 若草や 葉すえの露の かかる藤浪
かすが かみがき
ここも又 おなし心に 春日さす 光りにもれぬ 藤の神垣
なにわ え
難波江の 流れは音に 聞へ来て 野田の松枝に かかる藤浪
みや わか
春日野の ゆかりの色の 宮居ます 若むらさきの 野田の藤が枝
みよし ちょうけい
三好 長慶 1522(大永2) 〜 1564(永禄7)
みよし ながやす
三好 長逸 〜 1573(天正元)?
みよし まさやす
三好 政康 1528(享禄元)〜 1615(慶長20)
いわなり ともみち
岩成 友通 〜 1573(天正元)
戦国時代の武将。
三好長慶は、室町幕府の摂津守護代、相伴衆、管領代などを歴任。
あとの3人は、三好一族の重鎮で、「三好三人衆」と呼ばれる。
こも おだのぶなが
野田城に籠り織田信長と戦う
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作品4
な
菜の花の はじめや北に 雪の山
まつせ せいせい
松瀬 青々 1869(明治2)〜 1937(昭和12)
俳人、正岡子規の門下、関西ホトトギス派の指導者。
海老江に1906(明治39)年から15年間住んだ。この間、地元
で句会を催し、多くの句を残している。
『妻木』、『巻頭言集』などの著作がある。
この句碑は、海老江八坂神社境内に建てられている。
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作品5
ささぶね
「笹舟の町」(抄)
ようしょう
幼少のころ
でんしゃ よこちょう けん
電車通りをはずれた横丁の二軒目に
ふ
ぼくが生まれて光に触れた家があり
ばしゃ ぎゅうしゃ
馬車や牛車が
ぞ そうこ
川沿いの倉庫のほうへ
行き来していた
なか まさとし
中 正敏 1915(大正4)〜
玉川生まれの詩人、壺井繁治賞受賞。
しゅうめい はいぎょう
野田庄店主十二代中太郎兵衛を襲名後、廃業。
詩集『燃える野田藤』『秒針』など。
自伝『野田と雑喉場 野田庄こぼれ話』
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作品6
にお
行く水の 中の小島の 梅さかば さぞ川浪も 香に匂ふらむ
すがわら みちざね
菅原 道真 845(承和12)〜 903(延喜3)
学者、漢詩人、政治家。学問の神様として親しまれている。
うだいじん だざい ふ させん げんち ぼつ し ご てんぺんちい
右大臣のとき、大宰府へ左遷され現地で没した。死後天変地異
たはつ たた おそ
が多発したことから、道真の祟りと恐れられ、天満天神として
まつられた。
とちゅう たいざい
この作品は、大宰府に行く途中、風待ちのため福島に滞在した
よ
ときに詠んだとされる。
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作品7
とん ぼ り
道頓堀の 雨も光って 聖子展
りゅうえん
柳縁は うれしきものよ 聖子展
福島に 住んで近しい 聖子展
どくは め ざ きょうどしか
聖子著の 読破を目指し 郷土史家
ないとう みつえ
内藤 光枝
『川柳番傘』掲載作(2007.3)。「田辺聖子展」に寄せて作られた。
作者は福島区歴史研究会会員の家族。
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書の作者のプロフィール
つつぶち きみひろ
筒渕 公裕
福島区在住。読売書法会評議員、日本書芸院二科審査員、
午日会理事、カルチャーセンター講師など務める。
これまで福島区歴史研究会の展示タイトル作成などに協力。
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