ばくふりょう のうそん
海老江地区は、近世は幕府領で、明治のころまでのどかな農村
ちたい かいしゅう りゅういき ふく いこう すいうん
地帯でした。淀川改修工事で多くが流域に含まれ、以降は水運にも
めぐ しんしゅつ
恵まれて、工場も進出してきました。
い じ おお わ だ かいどう まち
現在は井路川も埋め立てられ、かつての大和田(梅田)街道も街
な かく いしだたみ
並みに隠れてしまいましたが、旧阪神国道線の石材を利用した石畳
ふうけい じょうけい よ はいじんまつせせいせい む
みの風景、明治・大正の情景を詠んだ俳人松瀬青々の句、大阪府無
けいぶんかざい してい しんじ でんとう きゅうしょうやたく つた こもんじょ
形文化財に指定された神事の伝統、旧庄屋宅に伝わる古文書など、
たいせつ のこ
大切に残されてきたものも少なくありません。
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